アニメとか漫画とかで、主人公と敵側のキャラが対峙している場面で、どちらかが相手に対して
「こんな立場で出逢ってさえいなければ、お前とは良き友になれたかもしれないな」
とか言ってる台詞ってたまにありますよね。
ベタだなあ、と思いつつも、僕はこういう台詞がけっこう好きです。(笑)
なんでこういう台詞に惹かれるかというと、やはり個人間の好悪とは別の次元で、人間というのは己の立場や目的、信念といった、それぞれが背負っているものに、望む望まざるに関わらず、翻弄されずにいられない、というやるせなさを感じさせるからです。
純真な子供の頃は「世界の全ての人が仲良くなれれば、戦争なんてなくなるのに」なんて思うものですが、現実はそうはいかない。
人によってそれぞれ、正しいと思う正義の形や、守りたいもの、否定せざるを得ないもの、といったものがそれぞれ違っていて、それを曲げられないからこそ、ぶつかり合い、傷つけ合い、争いになる。
(その各個人の「背負うもの」を全て消し去り、不完全な人類全てを強制的に1つに融合させよう、なんて壮大で無茶な理想を実現しようとする敵役も、物語にはよく出てきますよね)
前置きが長くなってしまいましたが……。
ここ最近の僕は、人と人との間には、不思議な「縁」のようなものがあるのかもしれないなぁ、と、よく考えます。
たとえば、前述の主人公と敵役キャラの例で言えば、個人間ではお互い一目おいていて、もしかすると親しくなれそうだ、と思うほどお互い共感もできる。
でも、立場が敵同士だったり、お互いの目的がどうしても譲れないものだったりして、敵対してしまう。
つまり彼らは、仲良くなれたかもしれなかったのに、別の要因によってそうなれなかった。
つまり「縁」がなかった。
でももしかすると、お互いのどちらかが相手のために自分の目的を曲げて和解したり、自分のいる陣営を裏切って相手の仲間になる道を選ぶ可能性もあったかもしれない。
それは、その二人には繋がる「縁」があった、ともいえます。
「そんなの結果論じゃん」という意見もあると思います。
「縁」なんて、結ばれたか否かの結果で、後からこじつけてるだけじゃないか、と。
確かにそういう考え方もありますよね。
ただ、僕らは「確実な未来」を見越して人生を生きられるわけでもなければ、相手と仲良くなれる未来を確信して人づきあいをしていけるわけでもない。
そのことを大前提として考えた時、相手との「縁」のあるなしという考え方は、大きな意味を持つような気がするんです。
たとえば恋愛で言えば、心から好きになって、結ばれたいと思えた相手がいたとして。
でも、こちらがどんなに一生懸命に相手と向き合おうとしても、相手がこちらを見てくれないことはある。
あるいは、相手もこちらに好感を持ってくれる可能性があったとしても、タイミングが悪くて、その時には既に付き合っている相手がいることもある。
あと一ヵ月早く相手と出逢っていたら、結ばれていたかもしれない。
あるいは、自分がその恋愛を諦めたあとでようやく、相手の方が自分の愛情に気付いて、後悔することもあるかもしれない。
あるいは、相手と付き合えたとしても、付き合いを続けていく中で、何気なく発した些細な言葉一つが相手を深く傷つけてしまったり、ほんのわずかなすれ違いや誤解で関係が壊れてしまったり、あるいは家族の反対や第三者の妨害、仕事の多忙により逢う時間が作れないなど、様々な外的要因によって、結ばれずに終わることもある。
そうしてダメな結果になってしまった時に、自分や相手を責め続けたり、「仲の良かったあの時に戻ってやり直せたら……」と悔やみ続けるのと、「この人とは縁がなかったんだ、仕方ない」と「縁」のせいにして気持ちに整理をつけられるのとでは、圧倒的に後者の方が気持ちが楽なんじゃないかな、と僕は思います。
また、「縁」という考え方を念頭に置くと、人付き合いをする時、気持ち的にも、ものすごく楽になれるんですよね。
できることなら、全ての人に好かれたい。
みんなから認められる、一目置かれる自分になりたい。
誰にも嫌われたくない。
大抵の人は、そういう気持ちって、多かれ少なかれ、あると思うんですよね。
でも現実はそうはいかなくて、好かれたい人に好かれないことや、認めてもらえないこと、よくわからないうちに一方的に嫌われる、なんてことは当たり前のようにある。
自分にその原因があるのなら、それに関しては反省して、言動を改めることはもちろん大事ですが、その一方で、(自分のその時の至らなさも含めて)あの人とは繋がれる縁がなかったんだ、と考えることで、気持ちはものすごく楽になります。
またもし、その人と「縁」があるのであれば、また仲良くなれる機会も、先々また訪れるかもしれない。
そんな風に、前向きに考えることもできますよね。
僕が昔、人付き合いが上手くいかなくて苦しんでいた時期に読んだ本で
『10人の人と出逢って、その10人全てに好かれようと思ってはいけない。
そのうち3人でも、親しくなってくれる人がいたら、有難いと思いなさい』
という一文に、ずいぶん救われたことがあるのですが。
それも言い換えるなら、
『自分と出逢う全ての人に、自分と繋がる「縁」があるのが当然だ、と勘違いしてはいけない。
誰かとの「縁」に恵まれるというのはそれだけ貴重で、素晴らしいことなのだから、そういう「縁」のあった相手と出逢えた時は、感謝を忘れずに、その「縁」を繋いだままでいられるように、大事にしましょう』
……ということなのかな、と思うのです。
まあ、リアリストな方に言わせれば「縁」なんて、実際には存在しない、ただの「観念」に過ぎないのかもしれませんが。
そういう考え方を念頭に置くことによって、より肩の力を抜いて、余裕を持って生きていけるのであれば、意識してみる価値はあるんじゃないかな、と思いますですよ(・`ω´・)ノ