「鍵」という「もの」の不思議

日常の中で、当たり前のように見ているもの、使用しているものは数限りなくありますが、ふと見方を変えてみると「これって不思議だなあ」とか「すごいなあ」なんて驚いてしまうことがあったりします。

今日は昨夜から朝方まで仕事していたので、ダウンしてから午前中はずっと寝ていたのですが……
昼過ぎに起きてからまた、作業の続きをしていたところで、母からスーパーへの買い物を頼まれてしまいました。

とりあえずやっていた作業をひと段落するところまで進めてから、夕方3時ごろ、買い物のために家を出ました。
すると、(うちは集合住宅なので、玄関を出ると廊下になっていて、すぐ真向かいに別の住人の部屋の玄関扉があるのですが)真向かいの部屋の扉の前に、スーパーの買い物袋がどさっと複数置かれていて、その傍で作業着の男性が佇んでいました。

どうやらその男性は真向かいの部屋の住人らしく(住人がいるのはたまに聞こえてくる声から知ってはいたけど、直接会ったのは初めてだった)、どうも鍵を紛失してしまって自分の家に入れず途方に暮れていた様子。どうも朝からずっとそんな状態だったらしい。
そのお向かいさんは、身体的な問題でうまく言葉を発声することが難しいらしく、また携帯電話もお持ちではなかったようで、困り果てていた様子。
このまま放っておくのも気の毒だし、代わりに鍵の業者さんと、立ち合いが必要なため110番にも連絡して、警察の人にも来てもらうことなりました。

110番してみたら、最初に「事件ですか、事故ですか?」って聞かれたんだけど、「隣の人が鍵を紛失したので代理で電話した」という状況の場合、どっちで答えたらいいのか迷っちゃいますよね。
「た、多分、事故、になるのかな、と思うんですけど」としどろもどろに答えている自分が妙におかしかった。

まあそんなこんなでそれから50分後、無事、警察官さんの立ち合いの元、業者さんが真向かいの家の鍵を開けてくれて、真向かいの住人の男性はようやくお家に入れたのでした。
朝からずーっと玄関前で途方に暮れておられたようなので、さぞかしほっとされたことでしょう。
というか、そんなことになってるならチャイム鳴らして助けを求めてくれてもよかったのに……とも思ったんだけど、言葉がうまく話せない事情もあるので、呼び出しても状況を説明できなくて不審がられるかも……と思われたのかもしれませんね。

……とまあ、そんな出来事がありまして。

そんな事態を経験して改めて思ったのは、「鍵」って、ほんとに不思議だなあ、ということ。

それ自体は、物質としては、ただのちっぽけな金属片にすぎないんですよね。
でもそれがあるからこそ、自宅に危険な人物が入ってきたり、家財を盗まれたりといった最悪の事態を防げるわけで。
また、ただのちっぽけな金属片にすぎないそれが、うっかり外で失われてしまったりしたら、今日のお向かいさんのように、下手すると朝からまる一日も途方にくれる羽目になったりもする。

たった一つの、たいして大きくもない金属片が、そういう「力」というか「価値」を持っている、ということに、改めて面白いな、なんてことを思ったりしたのでした。

いや、外でずーっと途方に暮れさせられてたお向かいさんにとっては、面白いなんて暢気なことを言ってられない話だと思いますけどね。(≧∇≦;)

でも、本来の物質としての大きさや価値とは別に、「もの」にそういった(道具としての機能性から来る)「価値」や「力」が宿る、っていうのは、改めて不思議なことだなあ、なんて思っちゃったり……しません?(´゚艸゚)∴

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